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[[ファイル:S37 校舎全景航空写真(40周年記念誌巻頭).jpg|サムネイル]] 4月1日 新生徒会規則施行 4月7日 入学式 4月10日 私鉄大手6社ストのため休業 4月14日 補習科開講式 5月25日 遠足 7月23日 山の家鹿沢寮完成 8月 体育館を改修 8月4日 臨海学校(館山 ~8日) 8月6日 林間学校(鹿沢寮 前期~10日 後期10~14日) 9月6日 水泳大会(~8日午後) 9月29日 文化祭(~30日) 10月7日 運動会 11月29日 2年修学旅行(~12月3日) 1月25日 後期生徒総会「文化祭を春に」など8議題 2月1日 ロードレース大会 3月1日 合同選抜学力検査(~2日)のため休校 3月7日 なわとび大会 3月18日 高等学校第15回卒業式 世相 8月12日 堀江青年、小型ヨットで太平洋横断 10月22日 キューバ危機 3月31日 吉展ちゃん事件 流行語:「無責任時代」「スモッグ」 流行歌:「いつでも夢を」「王将」「遠くへ行きたい」 鹿沢寮完成 昭和37年7月、定時制の努力によって小山台高校山の家、鹿沢寮が完成した。敷地4,958㎡、木造2階建の建坪302㎡、収容人員は、男子50名女子20名の立派な建物である。寮は、上信越高原国立公園の旧鹿沢にあり、標高約1,500m。附近には、コマクサの咲く三方ヶ峯、湯の丸山、烏帽子岳といった2,000m級の山々が連なり、四季を通じて自然に親しむことのできる景勝の地である。6月のツツジ、イワカガミ、7月のアヤメ、8月のヤナギランは特に美しい。 夏に林間学校、冬にはスキー教室が開かれ、また、生物班やブラスバンド班の合宿地でもあったが、近年は、がけ崩れや水利の便等により、ほとんど利用できなくなったのは大変残念なことである。 (『60周年記念誌』P169より) [[ファイル:鹿沢寮(40周年記念誌巻頭).jpg|サムネイル]] 黒板新聞 昭和37年2月、途絶えていた黒板新聞を新聞班が再興した。旧校舎正面玄関階段2階の上下6段悪2m四方の黒板に四角い特徴のある字で、毎週月曜発刊のため、土曜の昼より夜遅く9時頃までかかった。校内トピックス、行事、特集記事で構成されており、特にコラムは機知に富むため人気がある。これらを全体15名程度の破人で作成していた。更に当時は全4頁に渡るブランケット(大版)活版刷の新聞を年3回程度発行しており、内容は60年安保の余波を受けて、政治、生徒会、受験といった硬派なものであった。(以降略) (『60周年記念誌』P168より)高15回倉田和敏
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