トーク:運動会のソースを表示
←
トーク:運動会
ナビゲーションに移動
検索に移動
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
この操作は、次のグループのいずれかに属する利用者のみが実行できます:
管理者
、bukai_member、project_editor。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
[[ファイル:運動会S26年頃~榎木繁男先生「当時の運動会」(60周年記念誌P153).jpg|サムネイル]] 当時の運動会(60周年記念誌P153) 榎木繁男(旧体育科職員、産業能率大学教授) 運動会は、生徒会の最大の行事で、体育委員と生徒代表の応援団長・副団長で行うようになったのは昭和26年頃と記憶しています。運動会は生徒の手でやるべきで、当日先生は表面に出ないで、できるならば体育科の先生も背広を着て職員のテントの中で見物しようというのが我々の目標でした。そのためには、当日までの準備にはどんな努力もおしまないという姿勢で取り組みましたから、35年頃までは、各団の種目練習が終わって下校時間後毎日遅くまで、団長・副団長を中心に、ルールの検討や運営の打合せの会議をしたものです。 運動会の種目もこの頃検討して残った大部分のものが今に引き継がれています。 団長をやっていると受験に影響するというので団長のなりてがなく苦労した時代があったが、38年かに、青組が最後のリレーで劇的な逆転優勝をしたのをきっかけに団長の希望者がふえたのを憶えています。当時の団長達は、生徒を代表するリーダーばかりで、社会人になっても立派にリーダーシップをとって活躍している人達ばかりでしたので、3年生も積極的に協力し、運動会は益々充実したものになりました。 それも全校生徒が、自主性豊かな優秀な生徒だったので、我々の意図を十分理解してくれた結果だったと思います。 ★運動会の変遷(70周年記念誌P41-49) 松野下先生による詳しい説明あり
トーク:運動会
に戻る。
ナビゲーション メニュー
個人用ツール
ログイン
名前空間
ページ
議論
日本語
表示
閲覧
ソースを閲覧
履歴表示
その他
検索
案内
八中・小山台デジタルアーカイブ
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
編集時サンドボックス
ツール
リンク元
関連ページの更新状況
特別ページ
ページ情報
関連リンク
菊桜会Webサイト
菊桜会YouTubeチャンネル
小山台教育財団