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:<span style="font-size:20px;">''' 小山台高校での思い出のページです。高28回同期の方ならどなたでも載せることできます。'''</span><br> :<big>〇次のフォーマットでお書きください。</big><br> == 思い出のタイトル == <div align="right"><span style="font-size:18px;">3〇 筆 者 名</span></div> [[ファイル:高28_筆者近影サンプル.jpg|100px|right]] ::タイトルは「見出し2」のサイズとします。 ::卒業時のクラス名と筆者名は18ピクセル 右寄せとします。筆者近影など写真があるとさらにいいですね。<br> ::1行改行した後,本文をお書きください。 ::ワープロソフトやエディターで書いたテキストを貼り付けても大丈夫です。 ::内容に関連した写真を入れていただいても結構です。読まれる方が分かりやすいようにするのもポイントです。<br><br> ::※※内容については高校時代の思い出であれば自由ですが,八中・小山台デジタルアーカイブの性質上,書かれた内容はネット上で公になりますのでコンプライアンス(法令順守)に配慮した内容でお願いします。(例:未成年の飲酒,喫煙などは✕) <br> ---- <br> == 恩師の思い出 == <div align="right"><span style="font-size:18px;">3D 北原 毅</span></div><br> - '''石黒先生'''(数学I)入学前に数1の教科書貰って、全て教科書内の問題を解いていたので石黒先生(当時、NHK教育TVで高校数学を担当されていた)に授業中「お前だけに授業しているわけじゃ無い」って一言くらった。<br> - '''芝先生'''(物理)入学初日、物理の先生は誰ですかって聞き回って芝先生に中学校時の「模型とラジオ」という雑誌の懸賞問題、ブリッジ抵抗の合成抵抗の求め方を聞きに。「キルヒホッフの法則で解ける」って教わった。「交流磁界の中で同期して回転させるにはどうしたらよいか?」の質問。その頃有ったコンセントに繋げる目覚時計、分解した事が有ったので「軸に磁石を使う」と即返答できた。<br> - '''水越先生'''(生物)プラナリア、「パーッピ」って言っておられた様な。<br> - '''園山先生'''(化学II)定期試験の答案返却後「この問題、学年で一人だけ正解だったのが居る」思わず声が出そうだった。<br> - '''川田(大坂?大阪)先生'''(英語)「耐震の英語、皆の腕時計にヒントが有るのに」Water-proofをEarthquake-proofは参った。冗談で受けた河合塾の東大模試で50%が災いして受験出願、元々東工大で考えていた私、母親と3者面談で「東大だったら落ちても恥ずかしく無い」って。これにも参った。受験科目増えて、でも運良く過去問の漢文から同じ例文、質問内容は異なってましたが、それで勢い付いて1次はパス。2時試験、英文和訳、「myth」がキーワードの文章で、皆が使っていた「出る単」には後ろの方、天邪鬼の私が使っていた「暗記する英単語」では前の方。なので運良く助かった。<br> - '''不島先生'''(数学II、III) 本当にお世話になりました。答えが合っていても解き方が悪いと❌を。ドラゴン桜ではありませんが、解き方まで点数になる入学試験だった事を教えて頂きました。「Sin(72°)を図形から平方根で表示して求めよ」なんて言う課外宿題も貰いました。<br> 諸先生がたのお陰で今の私がという気持ちです。 <br> <br> ---- <br> == 受験勉強の思い出 == <div align="right"><span style="font-size:18px;">3D 北原 毅</span></div><br> 3年の時にブラスバンドのコンクールに出る事に同意し、夏休み半分、合宿で潰れ普通ならかなり厳しい状況。でも、国語、社会は気にしないで良い(東工大志望)と思っていたので気は楽だった。只、数学と物理は、寝る直前まで難し目の問題に挑戦し、眠くて解けなくなった時に寝る。翌朝、同じ問題を解く練習をかなりした。今では潜在意識を使う、意識の裏の能力を使う訓練をしていたのだと考えている。実際、大学受験の数学2次試験、6問で3時間という過酷なもの。1問目15分ほどか、頑張っても解き方すら出てこない。で2問目に取り掛かり、その途中で1問目の解き方が突然浮かぶという事が起きた。実際の話で自分でも驚いていた。<br> 数学は小林さん、佐藤さんと共同でZ会の添削通信教育も受けていた。一人では荷が重すぎて続かないので三人で週ごとの持ち回り。三人とも現役合格してしまったけれど。<br> 現代国語、元々、国語はすごーく苦手。でも英語の勉強をするにつれて日本語の勉強にもなって不思議だった。<br> 自宅のトイレの内側、元素記号表などを一面に貼っていた。ドラゴン桜に出てきた一場面その物だった。ハハ<br> 二次試験終了後、私立の受験発表を見に行く時、それまでには経験した事の無い頭痛に襲われ、まるで脳のひだがもう一つ増えるのかと思った。数十年後、人間ドックで初めて脳MRIを撮った時に言われた。「ここの白い部分、かなり古い時の脳梗塞の後ですね」と。それかぁ、怖(生きてて良かったのか悪かったのか)<br> <br> <br> ---- <br> == 酔っ払い戯言の場所 == <div align="right"><span style="font-size:18px;">3D 北原 毅</span></div><br> 私らしいでしょ?なんてね。人生色々有っても、なかなか共有できるものではなく、だからこそ、こんな場所が出来たことで色々書き込んで、それを読んで知らない人生を共有するという事も有りかなぁ、酔っ払いの発想ですが。(改行はちゃんと)<br> 皆さん、私の知らないご苦労を経験されて来た筈。なので、こんな場所でもその片鱗でも共有できて経験値が上がれば(ゲームかよ)これからも後世の方や周りの方へ伝えられる事があればなぁと。 まぁ、最初の戯言で恐縮です。私のような大学を卒業して企業に入った場合、先ずは出来て当たり前、出来なければ「あそこ出て来ても大した事ない」って言われるだけ 。プレッシャーはあったのかも、でも空気読めないバカだったので神経衰弱にはならなかった。未だ8ビットマイコンの時代、インテル8080やモトローラ6800の時代。インテルはスタティック設計、モトローラはダイナミック設計。ちょっと専門的ですが、外から加えるクロック信号が低い周波数(例えば1Hz、心拍数位)からでも動作するのがスタティック。一方、ダイナミック設計はある程度高周波(800kHz以上だったかな?)でないと動作しないもの。ダイナミック設計の方が、内部のトランジスタの数が減らせるという利点もあってそんな設計手法が取られました。TRONのGmicro300はダイナミック手法でした。高が4MHzでした。今は演算機が倍の64ビット幅、クロックが3GHz(750倍)、演算機の数が8コア、画像処理(小数点数値の演算用に作られた回路を多数使用)などで数千倍の処理能力。でも、人工知能等と呼ばれている認識には未だ不十分かも。でもコンピュータには自己保存本能なんて無いし、自分から自己を成長させる様な発想も出来ないのでターミネーターの様な世界は来ないでしょう。(戯言2022/7/25) <br> <br> <br> == dummy == <div align="right"><span style="font-size:18px;">3〇 dummy</span></div> <br> ---- <br><br><br><br> ---- [[高28回| ↑「高28回のページ」へ戻る]]
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